演劇と珈琲、本と酒。

演劇とか珈琲とか本とか酒とかについて綴られるはず。

アマヤドリ『月の剥がれる』

アマヤドリ『月の剥がれる』

観劇。吉祥寺シアターにて。

 

観劇後の衝撃冷めやらず、居ても立っても居られない。今のうちに感じたことをまとめておかないと、忘れちゃいけないことを忘れてしまう、と思って書く。

 

あらすじは劇団HPから引用します。

《あらすじ》

 

「怒り」を放棄して暮らす国のとある学校。そこではサンゲ(散華)という、自らの死をもって殺人に抗議する過激な平和団体について学んでいた……。

 

ネット上で一人の青年が発表した思想から始まったサンゲの平和運動は、すぐに証券マン崩れの策士・羽田の目に留まり、彼を中心とした小さな平和団体が組織される。お飾りの初代代表に担がれた現代芸術家崩れの男・朝桐太地は、弟妹の反対を押し切ってノリで運動に身を投じてしまうが、そんな折、この国の軍隊が始まって以来の海外での死傷者が出る事態が起き、早速サンゲは、「命をもって抗議する者」を抽選によって選出する……。

 

サンゲという過激な平和運動を通して描かれるイノチガケの激動の世界と、「怒り」を放棄した人間たちがのほほんと暮らすのどかな世界を行き来しながら綴る異色の現代劇。学校、家庭、戦争、平和、宗教、憲法など社会的なモチーフを小さな人間たちのささやかな暮らしから描き出す一大絵巻。世界各地で続発する暴力と殺人、そして焼身による抗議活動に対するアマヤドリからの苦し紛れの必死の応答は、叶わぬ願いへの祈りの祝祭劇である。

 

 

この作品は2013年が初演で、今回は再演とのこと。

私としては今公演の脚本・演出家であり、アマヤドリの主催を務める広田氏のTwitterでのあるつぶやきが印象的だった。

 

広田氏が日本劇作家協会と「安全保障についてあれこれ議論などしてい」たというのは以下のページに詳細が詳しい。

安全保障法制を巡っての、劇作家協会とのあやれこれや。続編。 | 膝ブラック

まさか日本劇作家協会をおやめになっていたとは、意外というか、なんだかぽっかりとした気分になる。

 

さて、そんなことはさておき、広田氏はこの芝居を上演することによって、安全保障体制について自身の意見を表明されたといえる。日本劇作家協会を辞めてまで主張したかった意見とは何なのか? とても興味が惹かれる。

 

 

ここからは推測です。

この芝居の主旨はやはり「命の尊さ」であると私は考える。

しかしその前提には「個人の命をもってしては戦争状態には抗えない」というある種の諦観がある。

すなわち、各々がどれだけ体を張って戦争反対を主張しても平和は叶わない。だからこそ「願っても、叶わないから祈るんだ」という台詞につながる。結局、戦争という人類の大きな殺し合いに対しては、個々人は祈ることしかできないのだ。

 

≪上記に対する付記≫

  • 劇中に出てくる平和活動団体の「散華」は自らの死をもって殺人に対して抗議する。その殺人というのは自国の軍隊によってもたらされたものが主である。すなわち、散華の活動は「武力によって平和がもたらされること(=軍隊)への抗議活動」だ。しかし結局、物語の終盤で散華の活動は失敗に終わる。自国の軍隊が投じた核爆弾の被害者数と同数の抗議者を用意できなかったのである。
  • 散華の活動を見た現代の生徒たちはクライマックスにて今後の「この国」の方針についての採決に至る。そこで可決された条文は日本国憲法第9条の中の「武力」という単語を「怒り」に変換したものだった。つまり、「怒り」を放棄し、のほほんと暮らすのどかな世界というのはまさしく、「武力」を放棄し、のほほんと暮らす日本の隠喩に他ならない。
  1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
  • 上記から、散華のしているような活動への反対、すなわち「命を無駄にすること」への作者の激しい異議を感じる。
  • しかし同様に、「安全保障関連法案や集団的自衛権は必要である。なぜなら、武力を放棄した国の未来に待つのは「怒り」の感情の排除、すなわち人間性を失うことだからである。」という主張も同様に存在する。
  • だからこそ、自分の命を賭けて、イノチガケで願うのではなく、ただ、祈ることでしか平和への思いは発露しえないのである。

≪わからないこと≫

  • 国際関係論の文脈でいえば「散華」の活動のような考え方は恐らくリアリズムでもリベラリズムでもなく、コンストラクティビズムに当たると思うのだが、あまり関係ない気もする。
  • 『月の剥がれる』というタイトルから月経、生理を連想したが、物語に関係するのだろうか。赤ん坊の描写。次世代を担う未来の子供たち……?

 

 舞台は広く、上手空中にはカーテンレールのような枠が浮かんでおり、ジェットコースターのレールのようである。どことなく、原爆ドームを連想する。下手には大小さまざまな円柱がいくつもあり、場によって椅子になったりお立ち台になったりする。

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(毎回、チラシデザインがとても好き。今回もかっこいい。)

 

……なかなかうまくまとまらない。まだまだ咀嚼が必要。きっと、いや必ず、もっともっとたくさんの含意がこの芝居にはある。それらを受け止められない自分がもどかしい。

 

 ≪参考にしたリンク≫

アマヤドリ本公演『月の剥がれる』のお知らせ!! | アマヤドリ

Japan Playwrights Association - 「安全保障関連法案」「集団的自衛権行使を認める閣議決定」の 撤回を求めるアピール 

膝ブラック

Japan Playwrights Association - 言論表現の自由のよって立つところ

【安保法制公聴会】同志社大学長・村田晃嗣氏「学者は憲法学者だけではない」「戦争法案と表現したら安保の理解深まらない」(1/7ページ) - 産経ニュース