演劇と珈琲、本と酒。

演劇とか珈琲とか本とか酒とかについて綴られるはず。

劇的表現について

雑記

稽古をしつつ、考えることがある。

演劇は、音楽でもダンスでも漫才でも、舞台の上にのせてしまえばもれなく「演劇」になってしまう。

「表現」という単位で考えたとき、俳優もダンサーも、詩人も文筆家も、ミュージシャン画家も写真家も、皆平等である。各々がもつ表現欲を何によって表現するのか、という選択肢(媒体)は実に多様だ。

だが、舞台上でそれらを統合すれば演劇になり、カメラでそれらをとらえればそれは映画になる。ただそれだけのことだ。

 

どうしてもせりふが出てこない場合は踊ればいい。歌えばいい。絵を描けばいい。大切なのは、せりふをどう言うかではなく、その台詞を言うに至った衝動がどこにあるかであるはずだ。それが声と身体でうまく表現できないならば、絵をかき写真を撮り、詩や小説をかけばいい。

そういった寛容さが、学生演劇の稽古場では絶対に必要である。

 

……もっとも職業俳優は、せりふを言う術に長けていなければならないのだが。