NY観劇録② JULIUS CAESAR
ニューヨークのど真ん中に、大自然が広がっている。
毎年夏の夜になると、その中で盛大にシェイクスピア劇が上演される。
セントラルパーク内のデラコルテ劇場にて、FREE Shakespeare In The Park の"JULIUS CAESAR"を観劇してきた。
The Public Theater 主催のこのイベントは、毎年世界各地から演劇ファン、シェイクスピアファンを集める。セントラルパークの敷地内にある劇場を用いて、夜8時から11時ごろまでシェイクスピア劇を上演するのだ。そして、入場料はまさかの無料。劇場前に並びさえすれば、一流の演劇を誰でも観ることができる。
ここらへんにも、人と演劇の近さを感じる。
ただ、大変なのはそのチケットを手に入れること。無料なだけあって、劇場前にはまさに長蛇の列ができる。17時ごろ、丁度時間を持て余していた私はせっかく近くまで来たし、という軽い気持ちでその列に参加したが、3時間近く待っても入れるか入れないかわからないほどのシビアさだった。
チケットは12時から発券開始となる。が、多くの場合売り切れるため、獲得できなかった場合はstandby lineに並ぶことになる。これは、いうなれば当日券キャンセル待ちのようなもので、席に空きが出た場合ここに並んでいる人からチケットを獲得できる。
私が並び始めたのは17時過ぎ。開演まであと3時間近くあるものの、目の前にはすでに長蛇の列ができている。各々レジャーシートを持ってきて、読書や仕事、おしゃべりをしながら時間をつぶしている。この光景はニューヨークの夏の風物詩らしい。
やっとの思いで入場できた時の感動はひとしおである。
正直、英語は半分もわからず、内容も事前に予習していなければ全く分からなかっただろうと思う。が、これまで幾度となく上演されてきたシェイクスピアだからこそ、新化させようという演出の試みを楽しむことができた。
誤解しやすいが、ジュリアス・シーザーの主人公はシーザーではなくブルータスである。シーザーの死の前と後に葛藤する人たちの心境をブルータスを中心にして描く物語だ;。有名な「ブルータス、お前もか」というセリフも、この戯曲からきている。
意外、というべきか、やはりというべきか、シーザーの姿は現アメリカ大統領ドナルド・トランプまさにその人だった。このほかにもスマホが登場したり、最後の争いがデモ隊と機動隊の争いであったりと、古代ローマを現代におきかえた演出が随所に見られる。
真骨頂は、モノローグの成立。古典劇をリアリズムとして上演する際にどうやってモノローグを成立させるかという問題があるが、今回はすべて、観客との対話という形でそれが行われていたのがとても興味深い。
おそらく、演出家が最も意識したのは、現代の観客が同化できる「ジュリアス・シーザー」だったのだろう。それはすなわち、シェイクスピアがエリザベス朝時代に古代ローマの劇をすることによって成し遂げたかったこととそのまま重なる。つまり、為政者に対する皮肉と、民衆への警告である。
戴冠を三度拒否し、まるで神のような権力を持ったシーザーの姿はそのまま王位継承を拒んでいたエリザベス女王、そして過激な発言を繰り返すアメリカ大統領と重なる。
シェイクスピアが生きた時代も、現代も、そして古代ローマも、人々の根本的なところは変わらないのかもしれない。それもまた一つの皮肉である。