演劇と珈琲、本と酒。

演劇とか珈琲とか本とか酒とかについて綴られるはず。

「日本はもう制覇したので」と言う男の話。

「日本はもう制覇したので、今度はアメリカを制覇しに来ました。」

夜11時。彼はそう言った。

 

 

 

一週間前、住んでいた寮を退出した。 

寮生活は一つの部屋を四人で共有する形だった。日本での一人暮らしに慣れきっており、なおかつ誰にも邪魔されない生活が好きだったせいで、始まる前は正直見知らぬ4人と一つの部屋で住むなんて、考えただけで憂鬱だった。

けれども、いざ始まってみると意外と不快ではない。というのも、一緒に部屋を共有していたルームメイトがとても静かで、謙虚さを絵に書いたような人たちだったからだ。 

・共用の場所に私物を置かない。

・部屋の中で不必要に音を立てない。

など、口には出さずともお互い快適に生活するための不文律が確かに存在していて、そのおかげで思ったよりも大分快適に過ごすことができた。

 

——彼が来るまでは。

 

 

彼とはもちろん、冒頭の言葉を吐いた男である。

 

彼のせいで生活が一変したのは間違いない。

まず、彼は独り言が多かった。これは共同生活において致命的だ。眠るときも食事をするときも常に何かしらつぶやいているため、反応しようかしまいか、困る。夜中などたまったもんじゃない。彼と私は金属製の二段ベッドの上下を共有していたため、一方が動くとそれに伴って鉄パイプが軋む音がする。ある程度は仕方ないが、夜ごと繰り返される金属のきしむ音と独り言とのセッションは、聞くに堪えないものがあった。

また、彼には常識が欠如していた。

ある日、それまで穏やか極まりなかったルームメイトたちが目くじらを立てていた。理由を聞けば、彼が使用した後のシャワールームが水浸しになっていたのだという。なんでも、シャワーカーテンを外側に垂らして使用していたらしい。確かに「シャワーカーテンを内側に入れなさい。」というのは学校では教わらない。教わらないけれども、シャワーカーテンを見ればそれがシャワーの水が外に飛ぶのを防ぐためのものであるとわかるはずだ。いや、わかってほしかった。

そして三点目、彼はどこまでも尊大だった。

なぜアメリカに来たのか、初対面の留学生たちが始めにする会話のテンプレである。たいていの人は何かしら具体的な夢を持って、ニューヨークに来ている。語学学校に通いながらバーテンダーを目指していたり、働きながら歌手になってアポロシアターに立つことを目指していたりと、その夢はどれも応援したくなるようなものだ。

まだ素性が明らかになってなかったとき、このテンプレ質問をぶつけてみると、彼はおもむろにこう答えた。

「日本はもう制覇したので、今度はアメリカを制覇しに来ました。」

……素直には応援しようとは思えなかったのは、言うまでもない。

 

このようにして、僕らは次第に彼を避けるようになった。

 

だが、そんな彼の評価が、ある時一変する。

 

 

ある夜、避けがちだった寝室に入ると、彼は黙々とひたすらに、絵を描いていた。

扉を開けた瞬間、私は彼の放つ異様な雰囲気に圧倒された。

 

腰を折り曲げ、机をほとんど抱きかかえた状態で、彼は座っていた。

目と紙との間の距離はとても近く、カーブを描いた背中は小刻みに震えている。

両腕は丁寧にたたまれて紙と鉛筆をとらえており、途絶えることなく線を生み出している。

 

まさに、全身全霊で絵を描いているようだった。

 

私は、おそるおそる彼の描いているものを見た。

 

……目を奪われる。そんな体験をしたのは今までなかったかもしれない。まさに、吸い込まれるように私の目にはその絵しか映らなくなった。

 

その絵は機械の部品がいくつも折り重なってできた、人のような形をした何か、だった。

一見するとロボットのようだが、それには有機的な何かが宿っている。繊細な線が幾重にも重なった全体からは、電子顕微鏡で自然界をのぞいているような感覚を思い起こさせる。

「この絵には何かモチーフはあるの?」

ためらいがちに聞いてみると、彼は答えてくれた。

「行っている学校のトイレの裏にコート掛けみたいなのがあって、それ見てたら人の顔みたいだなって。描きました。」

 

 

一瞬、言葉を失ってしまった。

この瞬間、私はこれまで彼が取った行動を、全て理解した。

 

彼は、果てしない才能を持った芸術家だったのだ。

 

 

芸術家を芸術家にするのは本人ではなく、そのよき理解者だ。

 

人はどうしても社会という枠組みの中を生きていかざるを得ない。それは言ってしまえば煩雑で億劫極まりなく、慣習や不文律といった目に見えないものに支配されている、不思議なものだ。だが、現代において、特に「資本主義社会」と呼ばれるものにおいて、生きていくためには、金を稼いで食い扶持を繋ぐためには、この社会とどうしてもかかわっていかざるを得ない。

そんなとき、芸術を生業にするような人たちが、苦戦を強いられることは明らかだ。生前のゴッホが生活に困窮していたのが、その最たる例である。

芸術家の感性は、社会のそれとかけ離れている。時にそれは芸術家が社会から淘汰され、変わり者のレッテルを貼られる原因になる。実際には、変わっていない人など存在しないにもかかわらず。

そこで、彼らを理解し援助するような役割なりシステムが必要になってくる。

それがルネッサンス以来から続くパトロンの存在であり、演劇であれば制作という仕事だ。

両者はどちらか一方が欠ければ破綻をきたす。

理解者なき芸術も、芸術なきプロデュースも、どちらも必然的に立ち行かなくなるだろう。より具体的に言えば、自己満足に堕落する。

 

 

絵を描く彼はルームメイトとしては最悪だったが、そんなのは彼の人間的真価を評価する物差しには決してならない。

退出する直前に彼と知り合えて本当に良かったと、心の底から思う。

 

しばらくはいち鑑賞者として、この恐るべき18歳の活動を見守っていきたい。